阿蘇神社鳥居

2017.07.22

球磨郡あさぎり町須恵




阿蘇神社鳥居 あさぎり町指定有形文化財
「神社の鳥居は、神社のシンボル的な建造物で参道入口によくあります。この石鳥居も、この場所から西方向の山中にあった阿蘇神社の『一の鳥居』でした。その役目は、神域に入る門にあたるものでしよう。江戸時代は、阿蘇川が深田村と須恵村との境界であり、かつて阿蘇神社は深田村の領分にありました。
 その阿蘇神社は、大正12年(1923)に須恵諏訪原の諏訪神社に合祀されていて現在では残っていません。
『球磨郡神社記』という記録には、神社の言い伝えでは、肥後国の鎮守の阿蘇神社と同じ(同體)で、大同年中(806〜809年)に草創し、当初は上村の『高士の原(旧上村神殿原)』に創られ、それから須恵湯ノ原の『鼻ぐり石』の場所に遷座され、さらに永享年中(1429〜1440年)この地に移されたことを記録しています。また、室町時代の天文23年(1554年)、平等寺8世先師の成雅が宮殿を修造し、江戸時代の元禄6年(1693年)に相良頼喬公が修理したことも記しています。

阿蘇神社鳥居
 この石鳥居については、柱は台石の上に立ち、柱の上部が内側に内傾していて、貫は柱を通しており、貫の切り口は垂直であり、貫の中央には額束(ぬかづか)をのせ、島木・笠木の部分は反っていて、その切り口は斜めになっている『明神鳥居』の形をもっています。柱芯間3.2m、全高3.41m、柱径35cmを計り、向かって右側の柱には、『奉寄進 施主 黒木利平衛 西儀平衛 石工 林田弥右衛門 助右衛門』、左側の柱には、『寛政九丁巳閏七月吉日 當社人 西 千治』の刻銘があります。寛政九年は、西暦1797年です。
 この石鳥居の特色としては、額束が横長で、額縁を浮き彫りしてその中に『阿蘇社』と左横書きに文字を刻んでいて、扁額をはぶいて額束を扁額に見立て、文字を横書きしたこの地方独特の形式をもっています。
これとよく似た鳥居では、須恵諏訪神社の石鳥居も同じ形式です。」

あさぎり町教育委員会 平成22年3月吉日建立
阿蘇神社鳥居

寛政九丁巳年(1797)

扁額