秋時諏訪神社

2012.11.17

球磨郡あさぎり町上南 秋時




秋時諏訪神社本殿
「秋時諏訪神社は、秋時地区南端の諏訪山に建立されています。この南隣には相良三十三観音霊場札所の秋時観音堂があります。
神社の祭神と由来
 この神社のご祭神は、長野県の諏訪大明神です。神社の由来は、鎌倉時代の人吉の地頭、相良長頼(人吉相良家初代)の四男、上村四郎頼村が建立したといわれていますが、定かではありません。
 『上村史』によると、創建された時期は不明ですが、永正15年(1518)に再興され、天正14年(1586)には火災に遭ってその翌年に再興されたといいます。また、慶長3年(1599)には、地頭の相良清兵衛(頼兄)が当社を改造しています。この頃、相良家第20代長毎が朝鮮出征の願辞を奉納したと伝えます。また、『上村史』の『鬼塚彦左衛門庄屋日記』の条には『高麗御陣の砌、御願にて御建立遊ばされ候と申伝て慥なる儀、相知申さず候』(朝鮮出征のおり、祈願のため建立と伝えていることは、たしかであるかはわからない)とあり、江戸時代後期には建立のいきさつは不明であったようです。
 また、管理者の尾方家には、『諏訪社御宝殿御造替萬遺方覚』という古文書が残り、文化12年(1815)から2年間をかけて本殿造替をしたことを記録しています。これには、『屋根屋人 人吉ふ本(麓)の右田とね八、原城の窪佐ヱ門、大村の綱木加左ヱ門、山田村の尾方弥左ヱ門』とあり、人吉の職人が屋根工事に携わっていることを記しています。
 延享四年(1747)の『諸社改覚帳控』(高田家文書)という古文書には、本殿が8尺4面(2.42m×2.42m)、縁側3尺(0.9m)と2間半×4間半の拝殿があり、また、幅1間で長さ2間の廊下があったことを記録しています。
 現在の本殿は、正面3.15m×奥行2.95mを計り、屋根は、板葺き(こけら葺)で、前流れの屋根が曲線形に長くのびて向拝となった三間社流造の様式です。建物左右の側面には0.75mの縁があり、正面床下には1.6mの浜床があります。
 覆屋は5.45m×5.38m、高さはおよそ8.1mを計り、棟持柱という側面中央の柱が棟まで達する形式で造られています。覆屋の中に本殿が建つことで、直接風雨に曝されないため保存に良好な建築物といえます。平成17年覆屋のトタン屋根の老朽化により、鋼製屋根材の張替を実施しました。
 球磨地方には、この諏訪神社本殿のように覆屋の中に流造の本殿を持つものが多く、球磨地方の地域性をもつ建築で、その中でも老神神社本殿(国重文・人吉市)の神社建築はその代表的な建築です。」

あさぎり町教育委員会
平成22年3月吉日建立 
秋時諏訪神社

長い参道

上りつめると

社殿

覆屋の中に本殿が建つ