市原梵字庚申塔
「奈良時代の末期(六百年代中頃)に中国から道教の庚申信仰が伝来しました。
人間が生まれる時に三尸の虫も一緒に生まれ、その人の罪過を全て記憶し、庚申の夜になると寝ている人の体から抜け出して天上界に上り、天帝にその人の罪過を告げるとその人は命を奪われると信じられていました。
そこで六十日に一度の庚申(かのえさる)の夜には、家族や友人たちと眠らないで過ごす風習がありました。後には多くの人が集まり庚申講を作り徹夜をして過ごしました。庚申信仰は江戸時代の中期(千七百年代)に最も盛んに行われ、六十年に一度は庚申供養塔が建てられました。この他にも町内には多くの庚申塔が残されています。」
湧水町教育委員会 |