森重堅邸庭園
2011.07.02
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南九州市知覧町郡
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国選定重要伝統的建造物群保存地区
「江戸時代、薩摩藩は藩内を百十三の外城(郷)と呼ばれる行政区画に分け藩内を治めました。外城では、行政庁である御仮屋を中心として麓と呼ばれる武士団の居住区があり、さらに町家・村落と続いていました。
知覧もこの麓の一つで、御仮屋の前には城馬場が通り、これに直行して本馬場が通されています。馬場とは大路をいい、この馬場を挟んで麓の武家屋敷が形成され、随所に小路が配されています。知覧麓が今に見られるような姿に整備されたのは、十八世紀の中頃であると伝わっています。
伝続的建造物群保存地区は、本馬場を中心とした東西約九〇〇メートル、南北約二〇〇メートルの範囲です。屈折する道路に沿い、石垣と生垣を連ねて屋敷地を区画し、道路から後退して、腕木門や石柱門を開く姿は優れた景観を見せています。主屋と馬場との間には枯山水様式などの庭園が造られ、これらの庭園のうち、特に価値のあるものは“知覧麓庭園”として国の文化財として指定されています。
知覧伝統的建造物群保存地区は、鹿児島県に残る麓の代表的なもので旧観を良く伝えています。」 |
森重堅(しげみつ)邸庭園
「森家は、亀甲城の西麓にあり、領主に重臣として仕えた家柄で、住居や土蔵は寛保初年(1741)に建てられたものである。曲線に富んだ池には、奇岩怪石を用いて近景の山や半島をあらわし、対岸には、洞窟を表現した穴石を用いて水の流動を象徴している。庭園入口の右側にある石は、庭園の要をなし、雲の上の遠山を現わしている。」 |
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知覧武家屋敷は約30年ぶりの訪問
今回はゆっくりと回ります
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門をくぐると寛保初年に建てられた土蔵
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くぐり戸の奥に
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庭園
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正面 |