神子畢神社の由来
「神子畢神社は鎌倉時代に創建され、正長一年(1428年)の棟札があると古記録に記されていましたが、今はその古記録はありません。
『神子畢神社』は女神と言われ、辺田地区(上ノ村・小中野・大中野)の産土神です。又、上ノ原地区に同時期に創建され、深港の『飯牟礼神社』に合祀された『神子畢神社』は男神と言われ、ふたつの神社は、麓の『居世神社』の分身だとも言われております。
当地では、文治元年(1185年)屋島に続き長門の壇ノ浦の戦で源氏に敗れた平家の落人が、『安徳天皇』をお守りして硫黄島等を経て、密かにこの他にお匿いしたのではないかと伝えられています。
御祭神の『神子畢の神』は海から上がられた神様と言われており『畢』とは隠れ家・或いは小さな住居をさし、神の子、即ち尊い安徳天皇が住まわれた場所として祀り、神子畢神社と称するということです。
このお社の石の鳥居は、安永時代(1772年~1780年)彗の洪水で流され、仁王像も上体がなくなっております。」
平成二十八年三月 神子畢神社社殿改修事業実行委員会 |