洞亀寺跡(とうきじあと)・磨崖仏
「三国名勝図絵によれば、ここにあった寺は、齢端山洞亀寺(曹洞宗)といい、文明11(1479)年に薩州島津家3代島津成久公が建立し、田7町を寄進したといわれています。
初代の住職は、薩州島津家の菩提寺である龍光寺2代目東月承珊和尚という人でした。
薩州島津家が滅んでからは、摩藩菩提寺福昌寺の末寺となりました。この寺の住職には名僧が多く、地方から多くの弟子が来ていたといわれていますが、明治時代になり、廃仏毀釈で廃寺となりました。
東側の崖には地蔵尊の磨崖仏があります。この磨崖仏は、寺の少念という小僧が、近くの川の渕で溺死したのを悲しんだ明禅和尚が享保2(1717)年に石工の根占三左衛門に彫らせたものです。
小僧の溺死した渕を地元では小僧渕と呼んでおり、南側の古墓跡の崖下にあります。」
出水市教育委員会 平成25年3月
磨崖仏(地蔵尊)
「享保廿年(西暦1735年)謹奉供養、根占三左衛門、明禅氏とある」 |