深川院
「末吉は昔深川院といった。院というのは役所のこと倉庫の事務を執る所で租税としての穀物などを収納していた。末吉ではその倉庫が、この地にあったと伝えられ、やがて深川院が末吉の名になっていった。深川院は島津荘に属していた。
南北朝時代、櫛間領主・野辺盛忠は深川院まで領知していたが、元弘三年四月(1333)この深川院に五辻宮守艮親王を奉じて義兵を挙げた。
当時、野辺氏の代官として深川氏がこの地を治めた。熊野神社境内の五輪塔は深川氏の祖先の墓と伝えられる。溝辺氏の前の方に深川家の屋敷跡と氏神がある。深川氏の子孫は現在都城市に居る。この地は毎年一月七日鬼追いの行事が行われていることは有名である。
神社の参道に仁王像が二基ある。これは光明寺にあった仁王像で廃仏毀釈のとき土中に埋められたのを掘り出したので損傷が少ない。大体、室町時代と推定される。
二〇〇五年(平成十七年)二月」
曽於市教育委員会 |