山宮神社の概要
「社伝によると和銅2年(709)の創建と伝えられ、大同2年(807)6月に6社(田之浦山宮神社=天智天皇・山口社〈安楽山宮神社〉=大友皇子・鎮母神社=倭姫・安楽神社=玉依姫・若宮神社=持統天皇・枇榔神社=乙姫)を合祀して山口六社大明神と称していた。明治維新後、山宮神社と改められた。祭神は上記六座で、神鏡が御神体である。 奉納された多数の懸け仏から、鎌倉時代にはすでにこの地方の尊崇を集めていたようで、このことは明治時代枯死した入口左側にあったもう一つの大楠の根元から出土した古墳の副葬品に中国宋代の蔵骨品等があることからも判る。さらに藩政時代には志布志郷の宗廟として郷民の氏神信仰の中心となった。」 |