山宮神社の概要
「社伝によると、和銅2年(709)天智天皇の廟所を山阿(やまくに=御在所嶽)の山頂の建て、山裾に大友皇子を祭り山口大明神としたのが始まりとされる。大同2年(807)6月山頂の山宮大明神を山裾に移し、さらに同年8月山口大明神が安楽の地に移されて、他の五社神と合祀し山口六社大明神と称している。
この山頂の山宮神社と山裾の山口神社の関係は、山岳そのものを神格化して山裾にこれを祭る社としての里宮を置くという、日本各地に古くから見られる山岳信仰の形を取っている。田之浦山宮神社も以前はこの宮地ではなく、現小学校後方の山裾にあったとされ宮跡が残っている。
また神の性格としては、多くの鹿角が奉納されていたことから、元来は狩猟神と考えられ、後に農耕神としての性格をそなえてきたものと考えられる。」
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