平山氏庭園 国指定文化財
「この庭園は、江戸時代初期に造られた寺院庭園で、作庭型式は風景式、庭趣は自然的岩石園の築山観賞式で、面積は246uである。
当家の敷地は古刹石峯寺の遺跡で、明治の廃仏毀釈の後は代々平山家の住宅となっている。
作庭者は明らかでないが、石峯寺時代の住職が世俗を離れた仏道を修行するための場として自ら想を練り作庭したものと推定されている。
作庭の手法は、背後に樹林を負い住家の前に迫った自然の傾斜地を利用して、その裾に露出した大岩盤の崖を主景となし、その上に青々とした山の景観を表象する60数株のサツキ・ツツジ類の小刈込物を配して、深山幽谷の自然を風景的にまとめあげた庭園である。
荒々しい大岩盤は数段となって豪快な趣があり、稜角は鋭く直線的に延び、正面に岩窟があって宗教的な雰囲気が漂い、見る者を圧してその心に訴える厳しさをもっている。これは修験道の寺庭として、その修行道の厳しさに通ずる表現であると解釈される。
下段の岩盤には、直径約30cm深さ約2cmの円形穴を掘り込んで満月を表象する斬新な意匠も見られ、その出典は神仙説話により、仏法の悟りの境地を象徴するものとされている。
庭の西隅には大日如来の化身を象徴するといわれる多宝塔をかたどった灯籠が配されていかにも寺庭らしく、これはまた庭の末端を抑えて引き締め、添景物とLて利かせた作者の自信を推すに足る。
植栽は、概ね不等辺三角形の頂点に配植する自然風植栽法をとり、樹石間の美しい、釣合を永遠に崩さないように丸刈込みとなし、岩石の直線とよきコントラストもなしている。
降雨の際には、雨水が岩肌を伝って滝として落ちるような妓巧も凝らされている。」
志布志市 |