兼喜(けんき)神社本殿および拝殿
市指定文化財
「文禄四年(1595)都城から平佐に移封された北郷三久は、非業の死を逃げた兄相久の生涯をあわれみ、その霊を慰めるために、元和元年(1615)都城の若宮八幡の相久のみたまを勧請して、この他に若宮八幡を創建しました。
当社は、兄相久と父時久及び歴代平佐北郷家領主の祖霊を祭神とし、後年には兼喜大明神さらに兼喜神社と改称されています。
第十三代久信が、嘉永七年(1854)再興して以来概に130年を経た昭和五十九年、平佐共有社の手によって修復されました。神殿及び拝殿には多彩な彫刻が施され、建物と共に工匠の腕の冴えが偲ばれます。
列祭は毎年九月三十日であり、祭典の後に正面の馬場において流鏑馬が大正八年ごろまで行われていました。」 |