可愛山陵(えのさんりょう)略記
「明治七年七月、時の宮内省に於いて太政官布告により天孫瓊瓊杵尊の御陵として定められる。
瓊瓊杵尊は高千穂の峯に御降臨になった後、吾田長屋笠沙の碕に向われ、そこで国津神の御女木花開耶姫命を娶り、彦火火出見尊等三人の皇子をもうけられた。その後、笠沙の宮居を後にされ海路川内川下流よりこの地高城郡宮内(川内)に宮居を構えられた。崩御の後、ここの可愛山(別称神亀山)に葬り奉られたと言われている。
尚、瓊瓊杵尊は神武天皇の曽祖父にあたるとされる。
可愛山陵は神代三山陵(可愛山陵、高屋山上陵、吾平山上陵)の一つである。」 |