由来緒
「この子安観音像は通常妊婦の安産を守護する地蔵尊で慈母観音とも呼ばれる。
頭のない大きい観音像は明治初年の廃仏毀釈で破壊されたものであるが、製作時期は、江戸中期のものと思われ同時期の仏像は、宮之城住人、大磯作也仏師の作品が多いが、当子安観音は作者不詳である。
なお子安観音像は徳川時代にキリスト教徒が官憲の目を逃れる為に聖母マリアの像を観音だと称して製作し礼拝したものと言われる‥(仏教語大辞典によれば)他に子安観音(江戸中期)と呼ばれるものは、高江町柳山にあるが、はっきり子安観音と確認されるのは城地区にあるこの子安観音像だけである。
現在も昔と変わらず子宝安産を祈願しての参拝者が絶えない。」
協力川内市郷土史家 木場武則氏
平成元年吉日 城地区公民会 |