薩摩国分寺跡

2016.07.23

薩摩川内市国分寺町




薩摩国分寺跡 国指定史跡
「薩摩国分寺は、天平13年(741)聖武天皇のみことのりにより、国家の平安を祈念して、諸国に建立された勅願寺の一つである。
 国分寺には、僧寺(金光明四天王護国之寺)と尼寺(法華滅罪之寺)があり、ここは、薩摩国分僧寺跡である。尼寺跡の位置は確認されていない。薩摩国分寺の創建は、奈良時代後期ごろと推定されている。
 昭和19年(1944)に塔跡が国の史跡に指定され、ついで昭和51年(1976)に寺跡が国の史跡に追加指定され、同年から、史跡環境整備事業を実施した。
 昭和43年(1968)からの発掘調査によって、伽藍配置の全容がほぼ明らかになった。その結果、伽藍地域は、南北130m、東西118mと推定され、他国に比べると小規模である。建物は、中軸線上に南大門・中門・金堂・講堂・北門を配置し、金堂前方の西に西金堂があることがわかった。また、回廊や築地の跡も確認された。
 九州では、大官大寺(奈良県明日香村)式伽藍配置をもつ国分寺が多いとされるのに対して、薩摩国分寺は、川原寺(奈良県明日香村)式伽藍配置であることが推定される。」
平成15年1月 設置
薩摩国分寺跡

薩摩国分寺層塔 市指定文化財
「層塔とは、供養などの目的で木や石で造られた、奇数の層を成す塔です。
 一般的に石造の層塔は、塔身の四面に仏像や種字(仏を表す梵字)が刻まれ、薩摩国分寺層塔にも、四面に仏像が刻まれています。
 奈良時代の末頃建立された薩摩国分寺は、天正十五年(1587)の豊臣秀吉の薩摩侵攻の際に焼失し、江戸時代初期にここから北西に約300m離れた菅原神社(国府天満宮)の近くに移されました。これに伴い、同じ寺域内にあったと考えられる国分寺層塔もそこに移されましたが、平成二十年(2008)に再びこの場所に移されました。
 三基建立されたと考えられ、年代は鎌倉時代頃と思われます。江戸時代の移設で原形を失い、正確な層数は不明です。」

平成27年3月
薩摩川内市教育委員会