一條神社の由緒
「川内市陽成町七〇五五-二番地に鎮座の一條神社は、六十六代一條天皇の長保の御代新田宮の夏越祭へ院使が差遣されたことがあった。院使は役を終えて帰京の途中当地に薨じたので、村人はその霊を崇め祭って一條妙見と称したいわれを伝えている。
平成七年陽成町一九二七番地に鎮座の旧村社南方神社を合祀した。その際大正六年に南方神社に合祀してあった蔵王、顕山王神社もー緒に合祀した。
その時、社殿も老朽化していたので平成十ニ年現在社殿を改築した。
斯の如き経緯により現在、五祭神を奉祭している。」
例祭日、八月八日、十二月八日
八月八日の例祭日には太鼓踊りを奉納している。」
平成十ニ年八月吉日 |