長野金山 |
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長野金山のご案内 「長野金山が盛んな頃は、この坑道は遠く横川町山ケ野の地底までも通じ六番坑道と呼ばれ、途中には坑内事務所、コンプレッサー機械室、火薬庫、五百尺(165m)竪坑(エレベーター)や、斜坑巻上げ場、上坑道からの鉱石落し口などがあって、主に運搬や工夫の出入り口であった。 この坑内には、金鉱脈を追って掘られた坑道が、「クモ」の巣のようにつながっていた。金山は300年余り続いた。」 薩摩町教育委員会 |
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金山発見者 内山与右衛門の墓 |