旗山神社の仁王像

2015.08.15

肝属郡錦江町城元




旗山神社
「この社は古くから旗山大明神と呼ばれ、名前の由来は島津氏がこの山中の竹を戦いの旗竿としたため、旗山と呼ぶようになったと伝えられている。
 境内に竹林がニケ所あった。これがいわゆる旗竿山で、昔から薩摩藩における戦争用の旗竿は、この山の竹を用いることが慣例となっていた。
 島津公朝鮮征伐及び琉球出陣の折も、この竹を用いて薩摩隼人の武勲(戦場でたてた手がら)を輝かしたといわれている。島津家九代忠国の時代(応仁の乱の頃)薩摩藩の兵道家野村氏に命じ、肥後国(熊本県)志目岐岳から良質の竹をここに移植し、旗山大明神を勧請、出陣の際は必ず野村氏を派遣して、この山の竹を切らしめたと伝えられ
ている。
 平安時代の頃から鎌倉時代にかけては、この土地が重くみられていたのではないかとも考えられ、神社の棟札の中で最古のものは慶長20年(1615年)4月の物がある。境内にある樟の老木は、樹齢800年以上経過していると思われることから推測して、平家の落人が住みついた鎌倉時代の創建であろうと伝えられ、ここに新しき土地を求めて国づくりに励んだ様子が偲ばれる。」
旗山神社鳥居奥に仁王像

阿形

吽形

背面

社殿

旗山神社の大樟
「この樟は幹廻り十六米、樹高三十米、十種類位の植物が寄生し共生しています。
樹齢は八百年以上と推定されています。
大根占町誌によると神社の創建が平家の落人が住みついた鎌倉時代の頃ではないかとされています。
幾百年の星霜を経て生きつづけてきた年輪の重みと生命の悠久さを感じるでしょう。」

昭和五十五年
大根占町教育委員会


以上 2015.08.15撮影


1年8ヶ月ぶりの訪問

阿形

吽形

桜と楠
以上 2017.04.15撮影