旗山神社
「この社は古くから旗山大明神と呼ばれ、名前の由来は島津氏がこの山中の竹を戦いの旗竿としたため、旗山と呼ぶようになったと伝えられている。
境内に竹林がニケ所あった。これがいわゆる旗竿山で、昔から薩摩藩における戦争用の旗竿は、この山の竹を用いることが慣例となっていた。
島津公朝鮮征伐及び琉球出陣の折も、この竹を用いて薩摩隼人の武勲(戦場でたてた手がら)を輝かしたといわれている。島津家九代忠国の時代(応仁の乱の頃)薩摩藩の兵道家野村氏に命じ、肥後国(熊本県)志目岐岳から良質の竹をここに移植し、旗山大明神を勧請、出陣の際は必ず野村氏を派遣して、この山の竹を切らしめたと伝えられ
ている。
平安時代の頃から鎌倉時代にかけては、この土地が重くみられていたのではないかとも考えられ、神社の棟札の中で最古のものは慶長20年(1615年)4月の物がある。境内にある樟の老木は、樹齢800年以上経過していると思われることから推測して、平家の落人が住みついた鎌倉時代の創建であろうと伝えられ、ここに新しき土地を求めて国づくりに励んだ様子が偲ばれる。」 |