「社伝によると菱刈氏の始祖菱刈重妙が建久4年(1193)に封を受け建久5年(1194)8月領内を巡視のとき郡山で一老翁にあい、「われは豊前の宇佐八幡である。われをここに祭れば汝の子孫を守護し、その栄福を祈るであろう」といわれ、その言葉を信じて豊前宇佐八幡の御霊を勧請し建立したのが、この神社と語りつがれている。 本殿桁行5.43m、梁間5.43m、単層屋根入母屋造柿葺(こけらぶき)宮殿桁行1.81m梁間1.81m単層屋根入母屋造棚葺となっている。建築は室町及び桃山形式の手法と、琉球建築の情調が強く加味されている。 建築の年代は最初明らかでなかったが葺板の裏に大工が墨尾(すみさし)をもって「永正4年(1507)丁卯再興島津出羽守殿」とあるのが発見されてから、それ以前に八幡神社が建立されていたことが立証された。 現在の本殿建築は昭和39年国の手で復元修補したものである。修補改築の時に、いま一つ非常に珍しいものが発見されている。それは本殿北東の柱貫の先端に久しく釘付けにされ塗込められていた木片の裏に次のような落書が発見され焼酎と薩摩人とのかかわりあいが今も昔もかわらなかったことが書かれていたことである。 「その時座主は大きなこすてをちやりて一度も焼酎を下されず候 何ともめいわくな事哉」 多分これは永正時代に建立された社殿を50年後に修補した時大工が書きしるしたものであろう。 また本殿には高柳の菅原神社・木崎の高熊神社・木崎の稲荷神社を合祀してある。」
伊佐市教育委員会 |