日本甘藷栽培初地の碑
「第十九代種子島島主久基(栖林公)は、元禄十一年(1698年)三月琉球王尚貞に懇望して、一籠の甘藷の寄贈を受けた。
家臣西村時乗を命じ栽培法を研修させ時乗は下石寺の大瀬休左衛門に実験的試作を命じ、苦心の末に栽培を可能とした。
七年後に山川(鹿児島県)の前田和右衛門が甘藷栽培を行い、甘藷先生と呼ばれた
青木昆陽はこの年(元禄十一年)に生まれている。
碑文
「本邦甘藷の栽培は実に我が種子島に創まり、種子島は我が下石寺を以て試作の地と為す。
故に題して日本甘藷栽培初地の碑と曰ふ。
初め栖林公、治を図るや、志済民に在り。
嘗て琉人より甘藷の利を聞き、折簡して之を求む。元禄十一年三月、中山王尚貞一籠を贈る・・・」
栖林神社をカライモの神社という由縁でもある。」
西之表市 |