台場跡
2004.11.21

史跡 台場跡
町指定文化財
「文久2年(1862)8月21日島津久光の一行は薩摩(鹿児島)に帰る途中、武蔵生麦村で(現横浜市)行列を乱した英国人リチャードソンを斬殺し二人に傷を負わせた このことが原因となって薩英戦争が始まった。
 文久3年2月薩藩は英艦の錦江湾来攻を察知して沿岸の防備を固めたが、この時本町の根占港津柱神社裏と現在地、そして上ノ山の3ヶ所に五番陣(小根占、大根占、佐多、大姶良、鹿屋)の郷土が主になって台場を構築した。
 今この砲台の跡を土地の人々は「台場跡」とよんでいるが、台場の高さ3m、幅4mのこのみかげ石の石垣は延長60mにも達し、中央に砲身を構えた凹部が二つ残っている。近くにはエンショウ倉(煙硝庫)もあった。
 薩英戦争の際、発射する機会はなかったが錦江湾沿岸に数十の台場が構築されたなかで、当時の台場としての原型をはっきりとどめているのはこの台場だけという貴重な史跡である。

根占町教育委員会