溝辺町十三塚史跡公園
十三塚原の由来
「溝辺町の十三塚は伝説によると、長承元年西暦一三三二年国分八幡と宇佐八幡との正統争いから宇佐八幡の密使十四人が国分八幡を焼討したところ火焔は天をおおいもうもうたる黒煙は自ら『正八幡』の文字を成して現われたという。
驚き恐れた密使は逃れてこの地に至り一人殪れ、二人殪れ、続いて十三人に及び、わずかに一人が宇佐に帰って事の次第を報告したと伝えられる。
土地の人は之をあわれみ、その場所に塚を盛り、その数十三であったのて十三塚原というようになった。
今般農業構造改善事業の実施により、その旧跡を失うことになったので、記念碑と共にこの地に当時の縮尺をもって原形を保存し、史跡公園として設置する。」
平成二年三月
溝辺町教育委員会 |