後町(うしろまち)の庚申塔
「子供の百日ぜき・麻疹等が流行った時、庚申塔に赤いよだれかけを掛けて、それらの病気にかからないように祈ったといわれています。
この庚申塔は江戸時代の中頃(文化四年・1807年)に作られました。
流行病をおさえる青面金剛やその部下である三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)などが彫られています。
また顔などが壊されていますが、これは明治初めの廃仏毀釈(仏さまを軽蔑して神さまを大切にすること)の時に壊されて川などに捨てられたものを後で拾い上げてこの場所におまつりしたためです。
松山町ではこの他に庚申塔が新橋馬場・野久尾・仮屋・秦野京/峯・本町に残っていますがどれも一部壊されています。」
志布志市教育委員会 |