松山城址
(二ノ丸跡)
2003.03.13

松山町新橋




松山城址
「松山城は文政四年(1188年)平清盛の孫である隠岐守重頼が松山に来て松山城を築いたという記録が残っています。
城が築かれた後、4年経った建久三年(1192年)には、源頼朝が鎌倉幕府を開きました。このような時代に、城を築いた重頼はいつ頃まで松山を治めたのか分かりませんが、あまり長くなかったといわれています。
 その後、戦国時代になると島津氏や肝付氏などの勢力争いのため、松山城は度々激しい戦乱の舞台と成、何度か落城したようです。最終的には島津氏の直轄地となり、島津家の家臣が地頭となり松山を治めました。
 松山城は本丸、二ノ丸、五兵衛城、八幡城の4つに分かれていますが、現在そのままの状態で残っているのは二ノ丸部分だけです。」

松山町教育委員会