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二階堂家住宅の石橋
2012.07.29
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肝属郡肝付町新富
橋長:1.7m
橋幅:0.8m
単径間桁橋
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重要文化財 二階堂家住宅の由来
「一、藤原氏南家系流の右大臣藤原是公十四世孫、ニ階堂行政(政所令) の六世二階堂●行は、正応六年(1293)鎌倉から薩摩国阿多北方(田布施)に下向し、その後阿多北方地頭職を仰付けられた。その後裔行盛(鹿児島住)は、天正年中、島津義久公から思し召しにより、この大林坊屋敷(高山)を拝領し、その子孫が、ここに連綿として今日まで約四百年永住している。
ニ、この住宅は、ニ階堂行昭が、文化七年(1810)のころ建てたものである。
三、文部大臣永井道雄は、昭和五十年六月二十三日この二階堂家住宅(おもて、なかえ)を重要文化財に指定した。
四、この建物は、昭和六十年八月三十一日の台風第十三号により災害を蒙ったので、文化庁は、同六十一年四月からその保存修理事業を実施し、同六十二年六月三十日これを完成した。
五、住宅の構造形式
(一)「おもて」桁行八・八九メートル、梁間六・九七メートル、寄棟造、茅葺、東面及び南面庇付竹葺、三間取り形式
(二)「なかえ」桁行八・八九メートル、梁間七・九八メートル、寄練造、茅葺、北面庇付竹葺、おもてとの取合部を含む。「なかえ」は、「どま」と「床上部」からなり、「なかえ」の「どま」に、「かまど」と「流し」を設け、床上部に一畳大の囲炉裏を設けている。「おもて」と「なかえ」の接続部として、一間巾の板の間を設けている。これを「といのま」と称す。おもては、といのま及びなかえより一七センチ高い。
(三)この住宅は、規模が大きく、部材の仕上げが丁寧で、おもての床の間に、とこと脇棚を設けるなど武家住宅の格式を示し、旧薩摩藩領に分布する分棟型民家のうち、手法の発展した形式をもつもので、鹿児島県南部の特色ある民家として歴史的価値が高いといわれている。」
パンフレットより |
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二階堂家住宅を訪ねてみました
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庭園に石橋
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庭から
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内部
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土間 |