湛水院の仁王像

2017.01.22

肝属郡肝付町新富 丸岡




湛水院の供養塔 肝付町指定文化財
「湛水院の供養塔は『湛水院殿徳源道智大居士』とあり、宮之城島津家四代島津図書久通のものです。この人は高山郷の第九代(慶安元年頃・1648)と第十四代(寛文十一年頃・1661)の地頭を勤めた人です。図書久通は薩摩藩国家老として殖産興業に貢献し、高山の地においても寛文年間に高山の新富用水路(新溝)を開通させました。新溝は高山川中流田布尾から水を取り入れ、広大な荒れ地を開拓し、新富、野崎の両村に石高二千石の開田を行ないました。寛文元年(1661)から寛文十一年(1671)まで、およそ十年の歳月が費やされています。
 この難事業は、高山郷土誌はもとより『高山名勝志』、『島津国史巻二七』、『鹿児島県史』、『宮之城町誌』にも記録されています。図書久通は延宝二年(1674)七十二歳で世を去ったと『称名墓誌巻之三』に記されています。
 高山郷の新田開発をした後引退し、数年後にこの世を去ったわけですが、長い歳月精魂を傾けた新富、野崎の田圃の見える場所に葬ってくれとの遺言により、湛水院の丘に供養塔が建立されたと伝えられています。」

平成22年4月
肝付町教育委員会
民家前に案内板が建っています

家の方が居られたので、案内して頂きました

湛水院の供養塔前に一対の仁王像

左側の一体

背面

右側の一体

背面

背面

石塔

奥に供養塔

供養塔
以上 2017.01.22撮影


3ヶ月ぶりの訪問

左の一体

享保葵丑天(1733)

右の一体

石工 河越源次兵衛
以上 2017.04.16撮影