狭名田の長田御田植祭

2016.06.05

霧島市霧島田口




狭名田の長田(さなだのおさだ) 日本最古の水田跡
「霧島町には『天孫降臨の神話』をはじめ霧島神宮にまつわる数多くの伝承が、今日まで語り継がれています。
 ここ狭名田の長田は、皇孫瓊瓊杵尊が、はじめて水稲を作られた田であると言い伝えられ日本最古の水田であるといわれています。
 瓊瓊杵尊の嫡后木花開耶姫命が御子彦火火出見尊をお生みになった時に狭名田と名付けたと云われます。
 狭名田という地名に関しての由来は、次の出典から伺い知ることが出来ます。
 時に神吾田鹿葦津姫(木花開耶姫命)卜定田を以て號けて狭名田と曰くふ。其の田の稲を以て、天甜酒を醸みて嘗す。(日本書記・神代下)
とあり、また
 狭名田の跡
 日本最初の水田跡と言い伝えられている。島津斉彬の頃、此の地に田の神が建立されたが、大正四年村人たちは、『狭名田の跡』という碑を建てた。
 此の狭名田の跡は大字田ロにあるが、付近一帯を狭名田の長田と称す。神代の昔、ここに初めて稲を播き彦火火出見尊がお生まれになったとき、その新穀をとり祝ったという。     (東襲山郷土史・昭和9年刊)
 さらに古い文献によれば、この狭名田に関わりの深い神社として『稲葉神社』が拳げられます。
 本社(霧島神宮)の末にて、本社の西南一里余にあり田口村に属す、祭神木花開耶姫、倉稲魂命、猿田彦命、是なり、社記に曰
 此地は開闢の初、自然に稲始て生せし処といヘリ、荒古瓊瓊杵尊、高千穂峯に天降の時、霧暗かりしに此処の稲穂を取て、四方に散し給ひしかば、天忽開明すと、故に此地の稲を不蒔稲といひ、日本国中稲の根本なり、当社は此縁故にて建たり(三国名勝図絵・天保十四年 一八四三年)
 稲葉神社は現在、町内の天子神社に合祀されておりますが、明治三十五年までは、この水田の南百米程の『狭名田の跡』の碑のある小高い丘(朱の鳥居が建っている)に鎮座されていました。ちなみに此の一帯は今も『狭名田』の地名が使われています。」

霧島神宮
守衛さん、神職が先頭

早男、早乙女の登場

霧島神宮の主催

田の神にもお供え物

神事が終わるまでは、神田の向こうへ行ってはいけません

神事が終わり、苗を投げ入れます

御田植え開始

約2時間ほど見学しました