円明院跡と仁王像
「円明院は字堂之迫、元黒木役場の束側台地にあった。福寿山願寺円明院といい、鹿児島大乗院の末寺である。
開山は大乗院三十一世尭法師で、本尊は智慧を授ける仏とされている虚空蔵菩薩である。
この寺は元、姶良町重富平松の岩剣神社社前にあった、梅慶上人が開山した岩剣山神宮円明院である。
元文四年(1739)島津忠紀が平松を領して重富と改称し、 重富島津家を興したので豊州家第十二代久起は、円明院を黒木に移させ、盛証法印を住職とする祈願道場とした。寛保二年(1742)門前に左右一対の金剛明王像を建立した。
明治二年(1869)廃仏毀釈により廃寺となり、仁王像は地中に埋められた。後年この像は掘り出され、御崎神社の氏子により継承してきた。旧黒木役場入口に安置されていたが、一時常永寺の門口に移動し、平成九年(1997)再び旧黒木役場(ふれあい広場)に安置されるに至り、御崎神社氏子の手から離れた。
像の背面には『奉造立金剛明王一口 寛保二壬戌成年四月良辰』と刻銘がある。この像は右の『阿』、左の『吽』ともに形相がはっきりと判って、形が崩れていない。完全なものとしては町内最古のものである。」
薩摩川内教育委員会 |