大翁寺跡
「大翁寺は福昌寺(鹿児島市)の末寺で、本尊は正(聖)観音(座像)。
開山は福昌寺第十八代先師代賢守仲和尚、開基は樺山第九代忠助である。
天正十八年忠助は母(島津忠良の二女)の死を悼み、位牌寺としてその所領帖佐(姶良町)に通善寺を建立した。その後慶長十四年忠助が逝去したのでその菩提寺とし、法号紹剣大翁忠宏の二字をとって寺号を大翁寺と改めた。後十一代久高に至り慶長十九年藺牟田転封の際この地に移した。
境内の下方道路脇に一部破損した仁王像が二体ある。忿怒形の立像で、像背に『寛延四年辛未三月吉日、施主橋口平兵衛自細工奉建立両尊□□□石持口所士中』と銘刻してある。
中央の五輪塔は、世に言う『近思録崩れ』によって切腹して果てた樺山第二十一代久美のもので『宗心院殿実相元清大居士』の刻銘がある。
この地はまた藺牟田小学校発祥の地で、明治二年廃寺後山号をとって郷校明道館を創設、最後の住職小島雄蔵が教師となり、子弟の教育に当たったが、同四年御仮屋のあった現在の地に移転した。平成十五年三月一日町文化財に指定され、平成十六年十月十二日合併により、薩摩川内市の指定文化財となる。」
薩摩川内市教育委員会 |