明山塔 南九州市指定記念物(史跡) (祢寝清平供養塔)
「禰寝氏は平安時代末から大隈半島南部を治めていた豪族で。南北朝時代に足利氏方につき、室町時代には大隈・日向を治める島津奥州家に従って勢力をのばした。
室町時代の応永二四(1417)年、川辺で島津奥州家と平山城主の島津総州家・伊集院氏連合軍との合戦が起こった。当時の祢寝家当主・清平は、久豊とともに松尾城に入り、犬太郎のこもる平山城を攻めた。
しかし、城の堅い守りを崩す事ができずに松尾城へ退却し城を目前にして泥田に入り込み、身動きがとれなくなったところを討ち取られた。
この五輪塔は、江戸時代の1751(寛永四)年に子孫によって建立された。清平の法名が『明山』だったことから『明山塔』と呼ばれている。近くの碑には戦死した五十名の家臣が祀られている。」
平成十六年三月設置
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