上野町寺田の庚申塔 鹿屋市指定有形民俗文化財
「庚申塔は庚申信仰の供養塔として建立されたもので当地方では江戸時代中期以降のものが多い。ここのものは、享保十九年(1734年)建立である。この他にも市内に数多く存在している。
古いものには、自然石や角柱に梵字や庚申という文字だけ刻んだものが多いが、時代が下がると三眼六臂(八臂)の青面金剛が邪鬼を踏みつけ、周囲に日輪、月輪、宝輪、鶏、二童子、三猿を配した石塔が鹿屋市を中心とした地域に多くなる。一部を省略したものなど多種多様である。
庚申信仰とは暦のうえで庚申にあたる日に行われる信仰行事である。中国の道教では『庚申の晩』に人の体内にいる三尸という虫が眠っている間にそっと抜け出し天に上り、人が早く死ぬのを願い天の神にその人が日ごろ犯した罪を残らず申し立てる。そのため長生きするにはその日身を慎み徹夜をすればいい、と説いている。この思想が奈良時代に伝わり江戸時代になると地方にまで広がり庚申待や庚申塔の造立が盛んに行われた。庚申の晩には皆集まって寝ずに話などをしたことから村人の慰安の催しともなり『講』も出来たりしている。信仰の目的も変化していき豊作祈願などが願われるようになっていった。
当地方では『カネサッドン』『コシンドン』などと呼んでいる。」
平成十五年一月三十一日
鹿屋市教育委員会 |