獅子目清水の石塔群 記念物(史跡) 指定年月日 昭和六十二年五月一日
「ここの石塔群は鎌倉時代からこの付近一帯を支配した志々目氏一族の供養塔群と、南北朝期この地方に進出して来た建部姓称寝氏の逆修供養塔群、亨禄三年(1530年)大姶良地方に進出した肝付氏一族橋口但馬守等の供養塔群、分禄元年(1592年)梅北事件に連座して、誅殺された伊集院久光の百三十三回忌の追善供養塔、ならびにここの正面にあった大恵寺(正応寺ともいう)の歴代住職の供養塔群に大別される所の鎌倉から江戸時代にわたる長期間の一大供養塔群である。
付近一帯に散乱、埋没していたものを復元したもので、まだ周囲に埋もれたものもあると推定される。氏別に配列されてある。
ここは通称『三河どん』と称され、この地区では毎年清浄の地として清掃されている。大姶良地方の中世、近世の歴史を知る上からも、信仰、石塔の持つ意義を知る上からも文化財として高い価値を持つ石塔群である。」
平成十三年五月
鹿屋市教育委員会 |