大姶良城址

2016.02.27

鹿屋市大姶良町




史跡 大姶良城址
「大姶良城は平安末期の寿永年間(二八二年〜二八三年)頃から祢寝小太郎義明(冨山氏とも称する)が居城しその子孫は繁栄し大姶良、横山、志々目、浜田の各氏に分かれてその邑を受け継いだ。
 内城を中心として十二城から成りその規模は肝付氏の高山城をしのぐ。大姶良川の二つの川筋に囲まれ多くの空堀、土塁、析型等が現存しており中世山城の典型的なものといえよう。
 南北朝の抗争時代から戦国末期にかけて大隅地方の戦乱舞台に数多く登場し、多くの史書に記されてある城である。島津氏七代の大守元久も正平十八年この城で生まれている。
 南北朝の動乱期には三十年以上に亘り肝付兼成、楡井頼仲、畠山直顕、祢寝清成、島津氏久の順にこの城を巡って激しい攻防戦が繰り広げられ最後に島津氏が勝利を収めている。下って戦国時代になると亨禄三年(一五三〇年)肝付兼興が大姶良を占領、その武将橋口但馬守が大姶良城の主となる。
 以後天正五年(一五七七年)島津氏に降るまで四十七年間肝付氏の有となる。
 星霜ここに八百年、幾多の治乱興亡の歴史を秘めて古城は今静かに眠っている。」

平成二十年一月
鹿屋市教育委員会
山裾に案内板

大姶良城址