根木原の古石塔群
「これらの石塔には刻字や墨書等は確認できないが、最近の研究により造立された目的や時代、造立者まで判るようになった。
南北朝時代正平九年(一三五四年)木谷城(現鶴羽小学校裏山)に入った志布志松尾城主楡井頼仲党の南朝方を北朝武家方の祢寝清成等が攻め落とした記録がある。(池端文書)この戦いの時の逆修供養と戦死者の追善供養の石塔群と推定される。
この石塔群は五輪塔が大部分であるが、相輪も三基程確認され、復元された五輪塔の水輪部に納骨孔があり多数の骨片が確認される。この地が当時、神聖な空間(聖地)であったことが判る。
石質も山川地方産の山川石(黄色凝灰岩)製や荒平石も確認される。
また大型で、時代的にも古い石塔が多く、中世の人々の供養形態を知る事のできる貴重な一級の資料である。
○逆修供養・・生前自分の為に供養をすますこと
○追善供養・・死者の為に供養を行うこと」
平成二十年一月
鹿屋市教育委員会 |