波之上神社境内の板碑 市指定 考古資料
「板碑は鎌倉時代に中国から伝来した供養塔の一種である。五輪塔から変化したものとの説もあるが定説ではな。上から頂部、刻線、上額部、身部、下額部、根部から成り、根部が下の基礎にはめこまれている。
ここの板碑は項部がやや内側に反って突出し、県内にある他の板碑とは作り方がやや異なっている。六基あるが一基は赤色凝灰岩で軟らかく磨損が甚しい。他の五基は黄色凝灰岩(山川石)で造られているため六百年近く経た今でも刻時字まではっきりしている。これは県下でも重要な塔婆。
一基は僧心勝の追善供養で『右志者為僧心勝聖霊□□菩提乃至法界也、嘉暦三年戊辰九月廿一日一周忌敬白』と在り、上方に札(胎蔵界大日如来)の梵字が薬研彫りで刻まれている。鎌倉時代末期の作。他は僧敬心の逆修供養塔、追善供奉塔であり、元弘二年(北朝年号では正慶元年)正慶二年号と南北朝年号を混合して使用している。
これは板碑そのものと共に当時の混乱した世相を物語るもので歴史研究上からも第一級の文化財である。」
平成十年十二月吉日
鹿屋市教育委員会
以上 2015.07.25撮影
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