史跡国司塚

2015.07.19

鹿屋市永野田町




史跡国司塚
「奈良時代、和銅六年(714)に、大和朝廷は日向の国から大隅を割いて分国した。
 国衙(国の役所)を国分に置いて、初代国司陽候史麻呂を任命した。養老四年(720)、陽候史麻呂が国内巡検のため鹿屋に入った。現在の市役所後方の丘(現在は消滅)を国司山(国司城)と呼んでいる。大隅隼人がこれを急襲した。国司側はようやく包囲軍の一端を切り開いて、大姶良方面へ逃げたが、追って来た隼人軍と今の星塚あたりで戦い国司方は次々と倒れた。国司は下の名貫川尻を渡って早馬が丘に駆け上がった。そして馬をここにつなぎ自殺を試みたが死にきれず、下の泉にすべり降りて水を飲み、そのまま息絶えたという。その場所がこの地であると伝承されている。
 永田家の氏神はこの国司どんの山であるという。
 例祭は旧暦十月中丑の日の丑刻から祭典が始まる。祝詞は黙読であげられ、金幣十八本、紙幣三十六本を供える。さらに永田家では餅三百六十五個を供える。
 同家では、千二百年間こうして祀ってきたという。」

平成十九年三月
鹿屋市教育委員会
道路脇に石碑と案内板

奥の方に

国司塚