含粒寺の石像群

2015.05.10

鹿屋市南町




含粒寺境内の石像群 有形民俗文化財 昭和五十六年八月十九日指定
「含粒寺は、もとここにあった玄朗寺と吾平町門前にあった含粒寺が共に廃寺になっていたものを明治初年合併して含粒寺として発足した禅宗の寺である。
 この寺の境内には多くの石像・石塔がある。他の古寺の石像等が明治初年の廃仏毀釈で殆と打ちこわされてのに残り得たのは領主鎌田氏の位牌もあり、武家の尊崇が厚かったためと考られる。
 この石像(塔を含む)を年代・種類別に記すと
永禄八年(一五六五)の六地蔵一基(庚申信仰との集合体)
延宝四年(一六七六)宝永五年(一七〇八)の地蔵菩薩、各一基
延宝五年の大日如来供養石塔婆並びに年不詳の大日如来像、各一基
元文元年 (一七三六)の仁王像二躯、年不詳の観世音菩薩像、三躯(内一体は香炉付)
延享三年(一七四六)並びに年不詳の石灯籠、二基の計十四である。その他比較的新しいもの数体(墓石を含む)その内年不詳の仁王像、香炉付観世音菩薩は芸術的にもすぐれた逸品である。
 特筆すべきは、永禄八年の六地蔵塔で年代的にも県下で一番古いものに属するが、これは庚申信仰と習合したもので両者が習合したものとしては県下で一番古いものと思われる。
 また、これに記された文字から藩政時代農政の基本ととなった門割制度の『門』はすでに戦国時代に発生していたとの実証ともなり、本県の歴史、民俗資料として重要なものである。」

平成十三年二月
鹿屋市教育委員会
含粒寺の門前

参道右手 史跡 山下の中世石塔群

延宝四年(1676)、宝永五年(1708)の地蔵菩薩

延宝五年の大日如来供養石塔婆

観世音菩薩像

本堂