鵜戸神社

2014.03.22

鹿屋市吾平町麓




鵜戸神社
「鵜戸神宮は昔、鵜戸六所権現、鵜戸権現、鵜殿神社と称されていた。この権現は吾平山陵奉拝所の東一際小高い所にあった。権現の尊神は六体木神像高さ五寸五分あって座像である。この神社は天平拾九年(747)九月拾九日勅令によって六所大権現と号した。弘安三年(1280)二月拾日勅使が都からこられたと神記に書いてある。
 鵜戸神社御宝殿改築の棟札には、当社の御宝殿は長久四年(1043)みずのと未建立と記されていたという。その後たびたび再興、改築を繰り返してきた。寛文年中(1616頃)当時の国守島津綱貴は社殿を造営し、明和五年(1768)拾月時の藩主島津重豪が宝殿拝殿を造立したことが棟札に書かれている。当社はその後災害にあい大破したので明治四年(1871)八月仮殿へ御遷座のところ、同年拾壱月御神殿修復になるまでの間麓の八幡神社(町役場南隣)へ仮に御遷座されたが遂に元の地へ御帰社はなく今日にいたり八幡神社境内は鵜戸神社境内になった。(八幡神社明治四年末ごろ中福良の田中神社のところへ御遷りになった)
 昭和三九年旧本殿、舞殿(南向き)を現在地に新築し御遷座された。
 氏子は麓、上名、下名にわたる。鵜戸神社は上古に建立され神仰の中心として今日まで継承されている。」
鵜戸神社に立ち寄りました

境内の石造物

正安の五輪塔
「この石塔は昭和三十七年、牧山(今の上西目川路一帯)にあった薗入寺の阿弥陀堂脇からこの地に移された。「正安元年季(1299年)歳次己穀亥十月六日孝子等敬白」と刻まれているので、これを「正安の五輪塔」と称することになった。
 今からおよそ七〇〇年前(鎌倉時代後期の初め)に建てられた。大隅半島では最古に属するものであり、当地の勢力家の墓と推定される。」

昭和五十三年五月一〇日 文化財指定
吾平町教育委員会


野町観音

境内

社殿