菅原神社
「由緒
学問の祖神として仰がれ誠の道を教えた菅原道真公の墓所の上に社殿を造営してその神霊をお祀りした神社である。
公は幼少の頃より神童の誉れ高く五才の時、庭の梅の花を見て『美くしや 紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある』と和歌を詠まれたことが時の帝に達し参内を許されたと言う。
三十二才で文章博士となり『和魂洋才』の精神を以って教育に励まれ五十五才の時右大臣兼近衛大将に任ぜられたが、藤原時代妬言により昌泰四年一月二十五日大宰府権師に左遷され、九州大宰府に下向され延喜三年二月二十五日(903)五十九才でその清らかな生涯を閉じた。
京都を発つとき庭の梅を顧みて
東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ
と詠じ梅に別れを惜しむ愛情をよせたことは余りに有名である。大宰府では榎寺に居を卜し一歩も門外に出ず、謹慎の意を表わし『天を怨まず 人をとがめず』ただひたすら国の安泰を念じたと言う。官幣中社大宰府天満宮は全国天満宮の総本社である。」 |