朝鮮から持ち帰った石臼と手洗鉢
「椿窓寺の住職であった鳳山和尚が、文禄・慶長の役に陣僧として従軍し、帰国のとき船の下荷として持ち帰ったものです。征くときは兵士、武器、馬匹、兵糧を満載して船足を沈めて渡海しましたが、帰りは空船にも似ており、波荒い朝鮮海峡を渡るには、吃水が浅くて沈没の危険が考えられるため、船の底荷としたものでしょう。
はじめ、島津屋形の西の丸の庭においてありましたが、明治2年(1869)今の義弘公終焉の地の碑のあたりに、そして大正7年(1918)現在地に移したものです。」
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