上野供養塔群
「由緒
上野どんの墓の供養塔群の中心をなす二基の宝塔は上の城主の墓といわれ高い方の塔身には『ア』の種子と法名『阿道』他の塔身には『ヴァン』の種子と『妙阿』の法号が刻まれ、夫婦墓の姿をしている。この宝塔の前に高さ150p四方造像の方柱供養塔婆が建っているが、この種の塔婆は県下にはみられない。このほか正平、天授、壬申等南北朝時代の板碑等十数基がみられる。大永五年(1525年)銘の六面幢がその前にあるが、銘文から写経供養塔と推察される。西隣の観音堂前には永禄年間に建てられた天地蔵が配列され、集落民はこれを『六ツどん』と呼んでいる。このほかに五輪塔が八十数基配置されているが五輪塔は密教の五大思想を現す塔婆で天文、永禄、慶長の紀年銘のものと無銘のものとがある。銘碑のないものでかなり古い時代のものがある。以上のほか『ミタケドン』と青面金剛と三猿を刻んだ庚申供養塔も安置されている。上野どんは平家の落人といわれているが、由緒については明らかな資料がない。」
指宿市教育委員会 |