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照国神社参道橋

2007.09.02

鹿児島市照国町

橋長:3.9m
橋幅:14.0m
単径間桁橋




御祭神 照国大明神 島津斉彬
「島津斉彬公(1809〜1858)薩摩藩28代藩主
 島津斉彬公は、文化6年(1809)薩摩藩主の27代島津斉興公の嫡男として誕生なさいました。母は鳥取藩主池田治道の娘賢章院です。海外の文化に強い関心を示された曽祖父島津重豪公に可愛がられ育てられたため、斉彬公も海外の情報・文化に精通されるようになりました。そして、アへン戦争(1840〜1842)で、アジアの大国・清国がイギリスに敗れたことから、西欧諸国の植民地化政策を恐れ、斉彬公は、日本がひとつにまとまり、強く豊かな国づくりを目指すべきだとお考えになりました。そして、嘉永4年(1851)藩主になられると、鹿児島の磯に「集成館」と言う工場群を築き、ここを中心に、造船・製鉄・紡績・電信・ガラスなどの様々な事業に取り組まれました。また、人材育成のため教育にも力を注がれ、西郷隆盛や大久保利通など有能な人材も育て上げました。斉彬公は、安政5年(1858)、世を去られましたが、日本を強く豊かな国に生まれ変わらせるという夢は、弟の島津久光公やその長男忠義公、さらに西郷隆盛や大久保利通ら多くの家臣の手で実現されました。
 この斉彬公の銅像と、隣接の探勝園内にある久光公・忠義公の銅像は、大正6年(1917)彫刻家の朝倉文夫(1883〜1964)によつて作製されたものです。」
拝殿の前に架かっています

側面

反対側には水路

上部