荒田八幡宮の田の神

2015.06.07

鹿児島市下荒田2丁目7




荒田八幡宮御由緒
「御祭神 応神天皇 玉依姫尊 神功皇后
御神徳 應神天皇は殖産興業、文化学芸の祖神として仰ぎ神功皇后は安産の胞衣を納め小石を、お守りとして懐中に持し御安産なされ育児・安産の神様として崇め奉り、又海外との交通ありし故交通安全の神様でもあります。
御由緒 和銅年間(西暦七〇八年)桜島噴出と時を同じく約千二百八十余年御創建この間幾多の戦火にも消失せず
天文二十一年(西暦一五五二年)島津第十五代貴久公現在地に再興昭和五十八年四月御創建千二百七十五年奉祝御社殿流造、幣殿、拝殿、入母屋造、屋根銅板葺に改築御造営、
往古は鹿児島の宗社なり、大隅国正八幡宮今の鹿児島神宮御領鹿児島荒田村なり、その領地の境西を守護せよと荒田八幡宮(別宮)を創建
元亀二年(西暦一五七一年)四月大隅国今の肝属郡辺りより財徒襲い来りて当宮の神宝を奪い荒田浜より船に乗りて帰る途中俄に暴風おこりて船、神宝諸共皆海中にしずみたると云う、毎年正祭秋祭荒田浜に行宮を設け神輿を護りて下る。これを八幡浜下りと云う、又荒田領地は火災のない所と伝え知られし。
御社殿 鎮座された年代は不詳ですが、和銅年間桜島噴火と同じ頃といわれ、鎮座千三百余年といわれております。まぶせ村(現在の荒田)の生士神にして、古くは鹿児島の宗社であった大隅国正八幡宮御領鹿児島郡荒田荘なりと伝えられて【大隅国正八幡(現在の鹿児島神宮)の領地にて、その境の西を守護せよ】と当荒田八幡宮を創設したと伝えられております。
(鹿児島神宮を中心に東西南北に八幡宮鎮座)
蝮蛇の鎮符(まむし除けの御砂)
荒田八幡宮は此の毒虫を太く悪坐給うとして荒田の領地は此の蝮蛇を見ることなし是故に人皆社殿の下なる砂を拝請してお守りとす、常にこれを懐中すれば他所に於いてもその害を被ることなし若し蝮蛇を見る時この砂を撒けば痿傷で動くことを得ず終に死すと云う。
四方随神 荒田の領地四方に随神を祀り神領とする」
荒田八幡宮境内の石造物群

メシゲをかざした田の神

側面

側面

背面