慈眼寺と慈眼寺公園
「慈眼寺は、今から約1300年前(推古天皇の頃)百済の名僧日羅によって開基されたと言われています。
当時、日羅作の聖観音を安置し、天台宗の寺でしたが、後に臨済宗の寺になりました。
その後、応永年間(1394〜1427)島津家第8代久豊によって再興され、島津家第15代貴久が天文11年(1542年)寺を造営して福昌寺18代賢和和尚をおくり福昌寺の末寺として栄えました。
島津家第18代家久は、この地を賞賛して自分の号“慈眼”の字をとって“慈眼寺”と名付けました。
しかし、明治2年(1869年)廃仏毀釈によって寺は焼失し、現存する石像も腕などがもがれたりしました。
また、この一帯は慈眼寺公園と呼ばれ、春の桜、秋の紅葉と自然にめぐまれ市民の行楽地として親しまれています。」
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