御池
「島津氏第18代家久によって構築され、270年間にわたって島津氏の本城であった鹿児島城(鶴丸城)本丸の東南隅に、御池と呼ばれる池がありました。明治時代初めに廃城となり、その後、城跡には中学造士館や第七高等学校造士館が建てられました。昭和時代の初めごろ、七高のプール建設のため御池の石材の一部は鹿児島市の公会堂(現在の中央公民館)で使用し、大部分のものは鹿児島市鴨池動物園の庭園に移設されていました。昭和46年12月、同園が平川へ移転のため、この石材は当時明治百年記念事業として建設計画のあった黎明館の庭園用に鹿児島市から譲渡され、昭和58年この場所に復元しました。
大悲水(大悲とは仏の広大な慈悲心をあらわす)と刻まれた石をつたって水が流れるこの池には、九皐(きゅうこう)橋がかけられています。
九皐は、沢の深い所、深遠な所という意味で、中国最古の詩集である『詩経』に“鶴鳴于九皐、聲聞于野”とあります。鶴は、いかに奥深い沢で鳴いてもその声はどこまでも聞こえることから、賢人の評判は自然に遠くまで伝わるという意味です。
黎明館では、このような由緒ある池を江戸時代の歴史を偲ぶよすがとして、再び御池と呼ぶことにしました。」 |