奥龍蔵権現の仁王像

2013.09.29

鹿児島市東谷山4丁目




奥龍蔵権現
「この地は薩摩新刀の名工奥元平・元武・元安の三兄弟の鍛治場のあった所である。
 南北朝時代、谷山の郡司谷山隆信の曽孫忠重がこの奥の地一五〇町歩領して初めて奥氏をなのった。忠重は谷山の総鎮守の神伊佐智佐権現の分霊を勧請して氏神とし奥龍蔵権現とよぶようになった。忠重から十代目の清忠はじめて刀工となり、この地で刀鍛冶をはじめた。関ヶ原戦後、島津十九代光久の命により、刀と共に釣針をつくり九に十二剣の家紋を賄わった。江戸中期奥家の子孫たちはこの地で刀工として活躍し明治初年には奥の姓が十二軒もあり墓石もあった。明治四十四年奥現直・富迫周次郎・奥畩助により建立された奥龍蔵権現の石祠があり、いくらか昔の面影をのこしている波平刀と共に薩摩の名刀であった奥の名工の刀鍛冶のあった跡である。」

東谷山地域振興会
昭和六十二年三月吉日
奥龍蔵権現入口に一対の仁王像

阿形

吽形

階段を上ったところに石祠