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「五万石溝」跡
「ここは昔、五万石溝が掘り通されていたところである。
ここに残る石橋は「糸巻橋」と呼ばれ大正7年(1918)の架橋である。
五万石溝は、藩主島津吉貴の命により1704〜1711年(宝永年間)の頃着手し、およそ20年余りの歳月をかけて1734(享保19)年に完成した。
米ノ津川上流の下平野に井堰を築いて取水し、水の頭・折尾野・城山等の山麓を迂回して大野原を横切り、洗切海岸(福之江)まで20Kmに及ぶ用水路である。
途中に、岩山をくりぬいた「随道」23カ所、鍋野川と平良川の川底を掘り通した「底水道」2カ所がある。又、五万石溝の水を樋之谷川と神戸川のところで、水平交差する「移し川」をしたところが2カ所ある。
五万石溝は、勾配5,000分の1でシラス地帯を通るので、土手の崩壊防止や漏水防止対策が難儀であった。又、2カ所の底水道や23カ所に及ぶ随道工事は、岩盤をのみで彫る手作業であったから、大変な難工事であったろうと推測される。
昭和52年(1977)国営出水平野水利事業の完成によって五万石溝はその役を終えた。その後、霧降橋のところから、出水小学校裏・上竪馬場・西の口・小原の底水道の所までは、埋め立てられて道路敷になった。」 |