庚申塔
「『庚申経』を基にして庚申信仰が起きてき、室町末期から江戸初期にかけての建立と当然その信仰は盛んであった。行事そのものは平安朝時代から行なわれていた記録もあるので、相当古い信仰運動であったものと思われる。
この塔は正面に大きな円が描かれているが、これは『大日如来』を表し本来ならば石の下に申(猿)が彫られているのだが省略されている。大日如来は、密教の本尊で加持祈祷の法を行うとされており、修験道の信仰の中心とされていた。文武天皇の時代(700年)に疫病が流行した時、それを止めるための密法を行なった。真言密法である。それが基に成り全国的に『庚申塔』が建てられ、『無病息災、地域安泰』を祈った。昔の記録に従い、庚申の年、庚申の月、庚申の日、人々は食べ物を持ち寄り、塔の周辺に集まり、皆話し合い、食べ合い、飲み合いしながら一夜を過ごしたと言われている。
明治に成り『廃仏毀釈』運動で『淫祠の禁令』が出たので多くの塔、塚が壊された。現在最も多く、完全な形で残っているのは、大分県豊後高田の国東半島であり、近くは宮之城入口の道路横の丘に一基残っているが、あまり完全なものではない。然し、この塔を中心にして周辺の人達が、仲良く楽しく月の一夜を過ごしていた事は、微笑ましい事である。」
平成14年12月 |