米ノ津天満宮
「一、御祭神 菅原道眞公(菅公)
一、由緒
天明七年(1787年)島津重豪が参勤交代の年、九月一日鹿児島市を出発、四日此の地に着いた時、神の霊験肝に銘じ、太宰府天満宮の別当時に道眞公の神像を作ってもらい、1789年4月新たに神社を建立、米ノ津天満宮と称した。
一、天満宮の信仰
天満宮を普通『天神さま』といっている。菅原道眞公は平安時代の人で幼い頃からすぐれていて、5才で和歌を11才で漢詩を読み、支那の有名な詩人白楽天の再来といわれたほどであった。
道眞公は後に右大臣にまでなられ、志操堅固で当時の最高の文化人であったので、今でも広く学問の神として信仰されている。
『心だにまことの道にかなひなば祈らずとても神や守らん』
この道眞公の歌は、心正しくして真剣に生きようと教えています。学問の神さま・書道の神さま、不浄を祓って人を救って下さる神さまとして氏子・崇敬者の方々から崇拝されています。
一、祭典
三月二十五日 春季例大祭
六月二十二日 御田植祭
十一月二十五日 秋季例大祭」 |