米ノ津天満宮の田の神1

2012.05.13

出水市米ノ津町




米ノ津天満宮
「一、御祭神  菅原道眞公(菅公)
一、由緒
 天明七年(1787年)島津重豪が参勤交代の年、九月一日鹿児島市を出発、四日此の地に着いた時、神の霊験肝に銘じ、太宰府天満宮の別当時に道眞公の神像を作ってもらい、1789年4月新たに神社を建立、米ノ津天満宮と称した。
一、天満宮の信仰
 天満宮を普通『天神さま』といっている。菅原道眞公は平安時代の人で幼い頃からすぐれていて、5才で和歌を11才で漢詩を読み、支那の有名な詩人白楽天の再来といわれたほどであった。
 道眞公は後に右大臣にまでなられ、志操堅固で当時の最高の文化人であったので、今でも広く学問の神として信仰されている。
  『心だにまことの道にかなひなば祈らずとても神や守らん』
 この道眞公の歌は、心正しくして真剣に生きようと教えています。学問の神さま・書道の神さま、不浄を祓って人を救って下さる神さまとして氏子・崇敬者の方々から崇拝されています。
一、祭典
三月二十五日 春季例大祭
六月二十二日 御田植祭
十一月二十五日 秋季例大祭」
米ノ津天満宮

津口番所跡
「津□番所は海の番所ですが、三太郎峠がある葦北の陸路をさけて米ノ津から海路肥後(松橋、日奈久、佐敷へ上陸)入りする旅行者や荷物等は津□番所で検査をうけました。津とは港のことであり、中世薩州家の頃から『米ノ津』は阿久根、京泊、川内と並んで外国側によく知られた『抜荷』の適港であり薩摩の国際貿易港山川と並んでこの地域に港が集中していました。番所は元来は国のため設けられたものてすが江戸中期以降になると特産品の他領移出を取締るのが第一であり、これは陸路番所、津口番所共に同目的に使用しました。出水郷内外の津□番所は脇本(藩内の荷船)、三船(長島)(外国船や密輸船)、甑島(外国船)、阿久根倉津(領内貨物)米之津(客貨)等です。」
平成8年3月 出水市教育委員会
津口番所跡の案内板横に石像三体

左は馬頭観音、右二体は田の神

中央の一体

社殿