孝子徳右衛門の墓 いちき串木野市指定
「孝子徳右衛門は、唐人町の生まれで、幼少のころ父と死別し、兄である太兵衛とともに残された母と暮らしていた。徳右衛門は、油を売って一家の生活を支えていた。
しかし、母親はお酒が好きだったので、苦しい生活費の中から母にお酒と栄養のつく食事を与えていた。ところが母親は大変短気な性分で食事がまずいといったは怒り、徳右衛門を困らせていた。また、徳右衛門は三度結婚したが、そのたび母親が気に入らず離婚し、其の後は結婚もせずやがて病床につき糞尿を漏らすようになった母親を献身的に看病した。この事を代二十三代藩主の島津宗信に称えられ、褒美をいただいた。
この墓はこうした徳右衛門の墓である。」
2000年 いちき串木野市教育委員会 |